| 丹波篠山を訪ねて その1 (兵庫県篠山市) デカンショ節、ぼたん鍋や黒豆、丹波栗などで有名な、古い歴史を持つ城下町です。 2008.6.8 |
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大正ロマン館(観光案内所、特産品販売所、レストラン) 大正12年に建築された旧篠山町役場を保存利用しています。 |
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| ♪ヨーオイ、ヨーオイ、デッカンショ・・・♪ デカンショ祭(8月)のマスコット「デカボー」君です。 |
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| 一口メモ デカンショ節は、江戸時代から歌われていた篠山地方の「みつ節」の変形したものであると伝えられているそうです。 |
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篠山城趾(ササヤマジョウシ) 1609年、徳川家康の命により大阪城攻略の拠点として、わずか6ヶ月で築城されたといわれています。 方形約400mの小規模ですが、要所には2重の枡型や、2重3重の櫓を配した堅固なつくりになっていました。 建物は取り壊されましたが、城郭は全て昔のままの姿をとどめており、特に南の馬出は土塁馬出として全国唯一のものだそうです。 |
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| ↑鉄門(くろがねもん) | ↑大書院(復元) 大きさは、京都二条城の二の丸御殿に匹敵するとか。 |
↑大書院の玄関西側に残る井戸 どんな日照りでも枯れたことがないそうですよ。 |
| ↑本丸跡に祀られている青山神社(明治15年創建)
3代将軍家光の養育係を務めた青山忠俊と篠山城青山家4代藩主・忠裕を祭神としています |
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| 家康の娘婿にあたる姫路城主池田輝政を 普請奉行に命じ、 縄張りは築城の名人といわれる津城主藤堂高虎が あたり、西国15ヵ国23大名が動員された 大掛かりな天下普請だったようです。 寛延元年(1748)丹波亀山より 青山忠朝が6万石で入封。 以後、篠山城は青山氏6代の居城とし 明治維新を迎えました。。 ←築城助役大名家の刻印のある石 |
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一口メモ 東京のおしゃれな街として有名な”青山”と丹波篠山には、深〜い関係があるんですって!! というのも、篠山藩主青山氏は、家康の関東移封に伴い、現在の東京青山の地に領地を与えられ、 そこに、青山家の広大な屋敷があったことから、青山という地名になったそうです。 江戸時代の篠山藩主・青山氏ゆかりの地、青山で、毎年10月中旬には、「兵庫・丹波篠山デカンショ特産市」が開催されているそうですよ。 |
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| ←外濠の住人 ハイチーズ!・・・ 聞こえないふりしているのか、恥ずかしいのか、 それとも、毛繕いに忙しいのか、 こちらを向いてくれませんでした。 |
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| 兵庫県篠山市北新町 JR福知山線篠山口駅〜JRバス・神姫バス/二階町 |
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| ↑御徒士町(オカチマチ)武家屋敷群 お徒士衆(藩主の警衛にあたる役職)の家屋で、 土塀に囲まれた静かな佇まいです。 (きれいに整備されていました。) |
↑入母屋造(いりもやづくり)のカヤ葺で 武者窓をつけた白壁の建物が小林家長屋門 |
↑安間家史料館(アンマケシリョウカン) 篠山城跡の西外濠ぞいの南 |
| ←青山歴史村 | ||
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河原町妻入商家群(カワラマチツマイリショウカグン ) 屋根の棟と直角な方向を妻といい、妻側に出入口のある建造様式を「妻入り」といいます。 妻入商家は、5〜8mほどの狭い間口、しかし奥行きは大半が 40m以上と深く、表構えの大戸、千本格子や荒格子、蔀(しとみ)、 中二階の出格子、ムシコ窓、袖壁などが残り、往時の姿を今に伝える素晴らしい景観を織りなしています(案内板より) |
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| ↑陶器店 | ↑丹波古陶館 | ↑能楽資料館 |
| ↑立派な”うだつ”が残っていた家。 | ↑城址の北にある青山通り商店街・・・丹波篠山の味覚がいっぱいあります。 | |
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| ↑市役所前にあるデカンショ節100年記念像 | ||
小さな旅
2008.6.8