| 金沢 その3 2008.9.7 兼六園・金沢城址 |
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| 兼六園 水戸の偕楽園、岡山の後楽園と並ぶ日本三名園の一つ |
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| ↑金沢21世紀美術館の斜め向かいが、兼六園の出入り口のひとつ・・真弓坂口です。今回はここから入ります。 そして、生垣に沿って右手方向へ・・・ |
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| ↑ハギ・・・秋を感じます | ↑オミナエシ | |
| ↑舟之御亭(ふなのおちん) | ↑随身坂口 金城霊澤を見学するために、 ここで、一旦外へ出ます。 半券をみせると、もう一度、 中へ入れてもらえます。 |
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| ↑金城霊澤(きんじょうれいたく) 昔、金沢近郊の山科[やましな]で芋を掘っていた芋掘藤五郎が砂金を見つけ、ここで洗ったため金洗い沢という名前が付いたという。 金沢の地名の由来となったという霊泉です。 |
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| 金沢神社 第11代藩主前田治脩(はるなが)公が学問の 神様・菅原道真を祀って1794年に創建した神社 |
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↓随身坂口より、再入園しますと、右手に成巽閣(別途料金)があります。 |
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| ←成巽閣 辰巳用水→ 金沢市の中心部から見て辰巳(東南)の 方角にあることから そう呼ばれるようになった、 ”金沢城のための用水”です。 城内で使用する水、防火のほか、 堀を満たして守りを固めるためにも 使われていたそうです。 |
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| ↑根上松(ねあがりまつ) この松は、13代藩主・斉泰(なりやす)が土を盛り上げて若松を植え、根を深く土で覆い、成長後に土をのぞいて根をあらわにしたものだと伝えられています (案内板より) 帰りの電車で一緒になった大学生のひとりは、”こんじょうまつ”と読んだそうな・・・なかなか発想がユニーク?! (日本語は難しい!!) |
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| ↑「手向松(たむけまつ)」と呼ばれ、当時、 京都の東西両本願寺の門跡から移された赤松です。 |
↑[明治紀念之標](めいじきねんのひょう) 日本武尊像 |
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| ↑山崎山からの眺め | ↑眺望台からの眺め | ↑雁行橋 (がんこうばし)(かりがねばし) 11枚の赤戸室石を使用し、 雁が夕空に列をなして 飛んでいく様をかたどった「雁行橋」。 石の一枚一枚が亀の甲の形をしていることから 「亀甲橋」とも言われています。 |
| ↑霞ヶ池(かすみがいけ) | ↑唐崎松(からさきまつ) 13代藩主・斉泰(なりやす)が近江八景の一つ、 琵琶湖畔の唐崎松から種子を 取り寄せて育てた黒松。 兼六園のなかで最も枝ぶりの見事な木です。 冬になると、雪の重みによる枝折れを防ぐための 雪吊りが見られます。 |
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| ↑徽軫灯籠(ことじとうろう) 足が二股になっていて、琴の糸を支える琴柱(ことじ)に似ているのでその名が付いたと言われています。 この灯籠は水面を照らすための雪見灯籠が変化したものだそうです。 |
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| ←噴水 霞ヶ池を水源とし、池の水面との高低差による自然の水圧であがっています。 水の高さは約3.5mあり、霞ヶ池の水位の変化によって変わります。 藩政末期、金沢城内の二ノ丸に水を引くため試作されたものと伝えられています。 日本で最古の噴水であると言われています。 兼六園は、延宝年間(1673〜81)に5代藩主前田綱紀が造らせた蓮地庭であるといわれ、 現在の姿は13代藩主斉泰の時代に完成したものだそうです。 大人300円、 石川県金沢市兼六町 |
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| ←桂坂口を出ると、 真向かいにあるのが金沢城址の石川門です→ |
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金沢城址 金沢城はもともと1546年に加賀国の支配権を得た本願寺の拠点「尾山御坊(金沢御堂)」として建設されました。 その後,佐久間盛政が尾山御坊を攻め落とし,そのまま尾山城と改称して用いました。そして,前田利家が1583(天正11)年4月28日(6月14日)に入城しました。 |
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| ↑石川橋 | ↑石川橋からお堀通り(百間堀)を望む 兼六園口方向(右手が兼六園です) お堀を埋め立てて道路したんだね。 |
↑石川門の屋根も、白い鉛瓦でできています。 江戸時代の古文書には 「鉛瓦を使用したのは名城の姿を壮美にするため」 と書かれているそうですが、 詳しくは、、わかていないそうです。 |
| ←海鼠(なまこ)壁 | ||
| ↑櫓門 | ↑休憩所 | ↑石川門を内側から見たものです。 枡形虎口になっています。 |
| 五十間長屋 長さ66.6mで武器や食糧などを貯蔵しておく場所です (逆光のため、写真が暗くなり、悪しからず) ただ今、世界遺産を目指して、 復元整備をしています。 →工事中の箇所が目に付きます。 次回訪れる時は、どんなになっているかな?? |
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| 1949(昭和24)年5月に金沢大学が開学し,城内キャンパスとして利用されました。 金沢大学は1989(平成元)年から郊外に移転を始め1995(平成7年)に完全に移転しました。 その後城址は石川県が取得し、ただ今、復元整備中です。 兼六園は、今回で、4,5回目の訪問になりますが、前回来た時から、10年以上経っているので、 あいまいな記憶しかなく、散策中は、記憶の扉を開きながら、「こんなんだったかなあ?」と、思い巡らしながら、頭の中の兼六園のページを更新。 ”金沢”という地名の由来になった場所が、”金城霊澤”だとわかったのは、大発見です。 石川橋も金沢城祉も、今回がはじめて!!。 まだまだ、みどころいっぱいの金沢です。 この続きは、金沢 その4(ひがし茶屋街・主計町(かずえまち)茶屋街など)へ 金沢 その1(長町武家屋敷跡・尾山神社など)へ 金沢 その2(金沢21世紀美術館) |
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小さな旅
2008.9.7